母の還暦祝い

妹手作りの
ドラえもんもビックリΣ(・ω・ノ)ノ!、ジャンボどら焼き…☆

あんこ&クリームは妹と私の子供たちが乗っけてくれました。

あんこ一袋を全部乗っけると恐ろしい事を言い出す妹に、母の体重増加健康維持を考え、その案を却下に導くことに成功(;´Д`)

料理の写真は撮ってなかったけど、前日から全て妹が作ってくれました☆彡
私?…食器洗いを張り切って引き受けました♪

 

写真では分かりにくいですが、かなりのボリューム。お腹一杯胸一杯。

 

 

写真撮影会。妹と母。

赤の蝶ネクタイは、わたしからのプレゼントwwwwwwww
似合うじゃないか!違和感ナシ!!

 

母もついに60歳。早いな。
ぶっとんだ性格の父から相当苦労を掛けられた母。年子三姉妹の私たちを一生懸命育ててくれました…10年位?新聞配達と日中の仕事の掛け持ちもしていました。大雨、台風、雪の日も早朝にカブのバイクに乗って行くわけです。台風の時は、布団の中で無事に帰ってくるのか幼いながら心配してたな。
言い方悪いけど、当時は女を捨て完全に“母”として精一杯生きていたと思います。

あっ、父も父なりの愛情表現で育ててくれていた事が今だから分かるのですが(;´・ω・)

 

心休まる・穏やかな家庭環境とほぼ対極の中で育った幼少期ですが、

一つだけ父と母の子育てには感心するものがあります。

【子どもがやりたい事はやらせる】のポリシー。

勉強や進路に関しても一切、口出しされた事がありません。「勉強は?」「宿題は?」一回も言われた事がない。ここ、難しいですよね。私、息子たちに言ってます(笑)
もちろん、言い方やさじ加減は考えてですがね。

 

高校3年生の夏休み、周りが就職や進学でソワソワしている時に、1年間アメリカ留学したい!と突拍子もない事を言い出す私を反対もせず、送り出してくれました。相当心配したと思います。

 

 

帰国後は、単位を取っていたので日本の学校を卒業できたのですが、留年も経験してみたい!とこりゃまた変な事を言い出す私を受け入れてくれました。後輩と同学年と言う、なかなか出来ない貴重な経験でした☆高校には日本の学校3年間、アメリカの学校1年間の4年間通いましたよ(^▽^)/

 

卒業後は進学せず、漁協に就職したので、両親は面食らったことでしょう(;’∀’)(笑)
就職先の専務からも、「ここでは英語使わんよ~」と言われる始末。実際、漁師言語もありのバリバリの長崎弁でした。

その後、転職もいくつかし、結婚して、現在の書道の先生に落ち着いています。
書道は、子供の時の習い事で好きだったし、唯一先生や周りから褒められてました♪

 

母は、
私の前では心配している素振りは全く見せませんが、かなり心配しているそうです(笑)(妹談)
そりゃそうだ。長女だし、突拍子もない事をやってきてますので。本人的には、普通に生きているのだけれど…(・・;)

 

現在、私の息子が中2と小6。
将来どんな大人になるのか分かりません。私の子育てもあっているのか正解が分かりません。育児本に書かれているような子育て?…んーーーそんな完璧な母ではありません。
きっと、死ぬまで子を気に掛けるのが親心なのかなと思います。息子たちの人生で、遠回りや休むことがあっても、前に進めるよう見守るしかないですね。

 

還暦祝いの話から大きく逸れましたが、
母の祝いの場だったのですが、父と母からは姉妹お揃いのブレスレットをもらいました。完全にサプライズ。ウルウル。

 

「結婚した時に何もしてあげれなかった」からだと。母なりに気にしていたのでした。全然気にしてなかったのに。

 

 

長生きしてほしい。

 

母の還暦の節目に色んな事を思うのでした。